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エゴの話

エゴ。
エゴイズム、エゴイストの略。
自己、自我、利己的などの意味。

僕は今日、自分の心のわだかまりを綺麗にするために、ある人に犯した罪を謝りに行く、というエゴ行為をしてきます。

その人はもうこの世にいないので、僕はその人のことだけを考える時間をとって、手紙を書こうと思っています。
自分が納得するまで、言葉を選んで。

そう書くと、一見綺麗な行為のように見えますが、一切そんなことはないですからね。
ようは自分がスッキリしたいだけなんですよ、これは。

今まで向き合ってこなかったことに決着をつけるために、自分のためにするんです。

でもね、そうやって自分の中で割り切ることは簡単じゃなかったです。

それは心の中にある罪悪感や、自分を良く見たいという器の小ささ、あるいは良心という醜さなんかが、いろいろ混ざり合って邪魔してましたから。

本当に割り切っていいのだろうか、と頭の片隅で悩み続けてきました。

でも昨日、友人と話す中で教えてもらいました。

それは100%エゴだと。
そしてエゴでなんの問題もない、と。

本当は自分が過去を清算してスッキリしたいだけなのに、そこに相手のため、とか意味づけるほうが間違ってる。
エゴだし、エゴでいいんじゃないか?
大事なことは、エゴということを受け入れられるかだろ。
仮にそれがエゴだろうと、過去を清算して、お前が幸せになることでしか、幸せに出来ない人もこの先にいるだろう。

そう言われ、すごく納得しました。

相手がその行為で少しでも救われたり、なにか良い影響を与えられる可能性が0でないならば、エゴは100%ではないかもしれないけど、

今回の僕の場合は、相手がもうこの世にいないので、救われるかどうかなんて、この先も僕が生きてる間はわかりません。

だから僕は今日、犯した罪を謝りに行くという、エゴ行為をしてきます。
はっきりと、そう自覚した上で。

目を背け続けてきたこの4年間、振り返れば見ないといけないものを、見たいように見てきました。

僕は本当にバカだと思いますが、きっとこの4年間という歳月は、このバカな自分が、見たいものではなく見るべきもの見れるようになるために必要な期間だったのだろうと思います。

では身体を綺麗にして、行ってきます。

今日がたまたまお彼岸なのはなにかの巡り合わせか。
思い偲んで参ります。