小さな星がほらひとつ

恋に対する臆病さの話

『臆病さ』

 
というのが、26歳くらいからの恋愛を語る上では外せないテーマだと気づいた。
 
前に書いたように、おれは恋愛に対してどこまでも臆病だ。
 
なぜおれはこんなにも臆病なのか。
どう考えても、臆病さは恋愛において損しかないのにも関わらず、だ。
 
それをずーっと考えてると、気付いた。
そもそも、一度でも失恋したことのある人間はみな、大なり小なり臆病さを兼ね備えると。
 
これが近い将来、おれが有名にする、人間みな臆病理論、である。
 
ふざけてるようでおれはこの手の話、真剣だ笑
 
『人はみな臆病である。』
 
この前提を持つか持たないかで、恋愛におけるアクションは全く別物になる。
 
例えば、自分だけが臆病だと思うとそれを隠したくなるのが人間の性。
でも自分だけではなくて、相手も臆病だと思うと、自分がリードしなければ、となるのではないだろうか。
 
え  なるよね?
少なくてもおれはなる!
 
だからまぁ、なるとしてやで、
 
じゃぁそもそも、この恋愛に対する臆病さはどこからきてるのかを考えなければならない。
 
考えるべき観点は、先天的か後天的か。
 
先天的な路線から考えてみる。
物心がついた頃から臆病だったかというと、決してそんなことはない。
 
子供のころのおれは、なかなか恐れ知らず。
臆病さは、思い出しても見つからない。
つまり先天的ではないということ。
 
じゃぁ後天的に臆病になった路線を考えてみると、思い当たる節は多々ある。
 
自分が臆病になっていった過程を説明できるくらい、その瞬間の記憶は鮮明だ。
 
特に最後の付き合いはおれをどこまでも臆病にした。
 
臆病になるロジックはこうだ。
 
①相手を好きになる。
②友達以上に親以上に心を許す。
③別れる。あるいはフラれる。
 
以上。
実にシンプル。
 
若い魂は、別れる、という行為そのものが自分の価値観が否定されたように思い込んでしまう。
 
心を許した人と別れる瞬間を迎えたとき、人はこう思う。
 
『この人以上の人は、きっとこの先巡り会えないだろう・・・』
 
『こんな辛い思いをするぐらいなら、もう恋なんてしたくない・・・』
 
と。
 
そう思ったその刹那、人は自分の中にある臆病さのブロックを一段積み上げる。
もちろんそれは、無意識の産物。
 
だから本気で恋して、失恋した経験が増えれば増えるほど、自分の中にある臆病さのブロックは高く積み上がる。
 
ブロックが積み上がった人ほど、もう恋愛なんかせんでいいんちゃうかとか、いつかいい人が現れるやろうとか投げやりになるんやけども、
 
そうじゃないと声を大にして言いたい今日は。
 
臆病であればあるほど、今まで真剣に人と付き合って、向き合ってきた証拠。
 
臆病さを積み上げること、それ自体は悪いどころか、むしろ良いこと。
 
大事なことはそれを前向きに捉え、自分の味方に出来るかどうか。
 
臆病な人ほど、繊細になる。
 
前向きにさえ捉えられれば、臆病さからくる繊細さは、そのまま女性を喜ばせる優しさ、気配りに転換される。
 
臆病さからくる恋は、若い時のように陽気ではないが、臆病さがあるからこそ、より情熱的。
 
好きな人のために、新たな魅力をつくろうというその姿勢が、その魂が情熱的で輝いている。
 
だから整理すると、大事なことは、まず自分の中にある臆病さに気付いてあげること。
 
そして、その臆病さを認めて受け入れてあげること。
 
自分の臆病さを受け入れて初めて、人の臆病さを受け入れる準備が整うから。