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臆病さの話

臆病さ

というのが、26歳から32歳くらいまでの恋愛を語る上では外せないテーマだと気づいた。
まぁ臆病さに年齢の上限はないのかもしれんけども。

前に書いたように、おれは恋愛に対してどこまでも臆病だと自覚している。

なぜおれはこんなにも臆病なのか。
どう考えても、臆病さは恋愛において損しかないのにも関わらず、だ。

それをずーっと考えてると、気付いた。
そもそも、一度でも失恋したことのある人間はみな、大なり小なり臆病さを兼ね備えると。

これが近い将来、おれが有名にする、人間みな臆病理論、である。

ふざけてるように見えるやろうけど、おれはこの手の話、真剣だ。笑

人はみな臆病である。

この前提を持つか持たないかで、恋愛におけるアクションは全く別物になると考える。

例えば、自分だけが臆病だと思うとそれを隠したくなるのが人間の性。
でも自分だけではなくて、相手も臆病だと思うと、男の自分がリードしなければ、となるのではないだろうか。

え  なるよね?
少なくてもおれはなる!

だからまぁ、なるとしてやで、

じゃぁそもそも、この恋愛に対する臆病さはどこからきてるのかを考えなければならない。

考えるべき観点は、先天的か後天的か。

先天的な路線から考えてみる。
物心がついた頃から臆病だったかというと、決してそんなことはない。

子供のころのおれは、なかなか恐れ知らず。
臆病さは、思い出しても見つからない。
つまり先天的ではないということ。

じゃぁ後天的に臆病になった路線を考えてみると、思い当たる節は多々ある。

自分が臆病になっていった過程を説明できるくらい、その瞬間の記憶は鮮明だ。

特に最後の付き合いはおれをどこまでも臆病にした。

臆病になるロジックはこうだ。

相手を好きになる。
友達以上に、親以上に心を許す。
別れる。

実にシンプルなロジックだ。

若い魂は、別れる、という行為そのものが自分の価値観が否定されたように思い込んでしまう。

心を許した人と別れる瞬間を迎えたとき、人はこう思う。

『この人以上の人は、きっとこの先巡り会えないだろう。』

『こんな辛い思いをするぐらいなら、もう恋なんてしたくない。』

まさにこれを思ったその刹那、人は自分の中にある臆病さのブロックを積み上げる。
もちろんそれは、無意識の産物。

本気で恋愛をし、失恋した経験が増えれば増えるほど、自分の中にある臆病さのブロックは高く積み上がる。

そして恋愛に対して奥手になってしまった自分は、もう恋愛せんでいいんちゃうかとか、いつかいい人が現れるやろうとか思う。

でもね、そうじゃないと声を大にして言いたい今日は。

臆病であればあるほど、今まで真剣に人と付き合って、向き合ってきた証拠だ。

臆病さを積み上げること、それ自体は悪いどころか、むしろ良いこと。

大事なことは、それを誇りに捉え、自分の味方に出来るかどうか。

臆病な人ほど、辛い経験をしてきた可能性が高いと思う。

辛い経験をしてきてるからこそ、もう2度とあんな経験をしたくないと思って、繊細になる。

だから乗り越えることが出来れば、その臆病さからくる繊細さは、そのまま女性を喜ばせる優しさ、気配りに転換される。

臆病さからくる恋は、若い時のように陽気ではないが、臆病さがあるからこそ、より情熱的。

好きな人のために、新たな魅力をつくろうというその姿勢が、その魂が情熱的で輝いている。

だから整理すると、大事なことは、まず自分の中にある臆病さに気付いてあげること。

そして、その臆病さを認めて、受け入れてあげること。

自分の臆病さを受け入れて初めて、人の臆病さを受け入れる準備が整う。

これがひとつね。

もう1つは、大なり小なり、人には恋愛に対する臆病さがあるという前提を持つということ。

だから新しい恋に対して臆病になる必要はない。
だって相手が魅力的な人であればあるほど、きっとその人はその魅力に比例して、辛い経験をしてて、臆病やから。

自分も相手も臆病なのであれば、男が臆病さを隠すのは当然やろ。

それが2つ目。

いいね、良い感じで体系立てれたこれは。

人はみな臆病理論

ちょっとまとめ足りひんけど、
我ながら本質的じゃないかと思う。













ああ

でもここまで書いて、しもたー。と思う。

もっとこのことに早く気付いていれば、おれは彼女に対して、臆病さを撒き散らすことなく、スマートに接することが出来たかもしれないと思う。

そうすればおれはもっと、彼女から見て魅力的に映ったかもしれん。

そんな今の気分はmissing

まぁそんなことは、すでに後の祭りなんやけどな。笑

大丈夫!
おれの心、ここにある。