4末で会社を辞めた。
思い返せば、それ自体は全く大したことじゃない。
ただ、4年間続けた、自分を縛り付けていた時間の感覚から抜け出せないのが、今は苦しい。
8時ごろに出社し、
9時半から半強制的な掃除、
10時から朝礼をし、
18時半の終業時にはほぼ帰れず、
20時ごろまで仕事をする。
遅い日は終電を越えて仕事をするときもあった。
4年間、ほぼ毎日、
時間にすると1日平均12時間ほど、馬車馬のように働いてきた。
その反動で、唯一の休みの日曜はどこかに出かける気力もわかず、一日中寝ている日も多かった。
あの会社で働く繊細な人間は、おそらく同じような感覚だろうと推測する。
一日中寝ているのにも関わらず、頭の大半を支配するのは「〜しなければならない」という仕事のことだ。
仕事をすればいいのだが、頭は仕事をする気でも、心と身体が伴わない。
逆にゆっくり休めればいいのだが、頭の中には少なからず仕事のことがある。
悪い意味で、仕事とプライベートのメリハリがつかず、休めない。
まぁ、そんな感じの4年間。
自分でもよく続けたほうだと思う。
いま苦しいのは、この自分を縛りつけてた悪しき習慣。
会社を辞めて、3日目。
毎日が休みの身でありながら、感覚としては未だに、
働いてるときの休日に感じていた「〜しなければならない」という感覚に支配されている。
「〜しなければならない」という強制感からくるアウトプットは、確実に質が低いからこそ、
やりたいことのアウトプットがする気にならない。
変わらない悪循環。
なんとかして、一刻も早くこの状態を抜けださねばならない。
と考えて、ノートに思考を整理してみると、頭の中でまとめることは出来る。
でもそこに心と身体がついてこない。
幸介は、
心と身体と頭が一致していないと動くことは出来ない。
こないだ意味付けをしないと決めた日から、ほんまにそうなってしまった。
問題は心と身体をどうやって「〜しなければならない」から脱却させるか。
そこでおれは考えた。
考えることを放棄しようと。
考えることが生活の一部になってるおれが、
考えることを放棄する。
そのために日本か、海外か、旅に出ようと思う。
幸介を4年間かけて縛りつけ、いまも苦しめている「〜しなければならない」病から解放されるためには、
「もうグダグダしたくねぇぇぇえええええええええ!!!」
と思うまで、時間を捨てて生きないとアカン気がする。
でもそれができるのはなんでかっつーと、幸介には才能があり、アイデアがあると、
自分の可能性を信じ切れてるから。
だから数日以内に、旅に出る。
おれには今、時間の概念を捨てて、なにもしないというリハビリが必要。
たぶん携帯は置いていく。
人は孤独の中でしか、自分と対話することが出来ない。
となにかの本で読んだ気がするし、おれの造語な気がする。
でもほんまにそう思う。
この文章は後で修正するけど、いい内容がアウトプットできた気がするから、とりあえずリリース。笑