小さな星がほらひとつ

自省の話

ありふれた愛じゃない

 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900360

 

という、村上由佳さんが書いた小説を読む。

 

主人公の女性は、婚約した男性との、先の安心が約束されるような愛と、

 

雄らしい、元彼との恋の間で揺れる。

 

描写がリアルで素晴らしく、恋愛小説では久しぶりに、次の行が楽しみで、サクサクと読んでしまった。

 

 

 

 

その小説の中で、雄雄しい元彼から主人公へのこんなセリフがある。

 

『どうしても我慢がきかない。ただ顔を見て、声を聞いてるだけで、あんたを抱きたくて抱きたくてたまらなくなる。めちゃくちゃに壊してやりたくなる。だから---』

 

 

 

 

 

 

この感覚を、おれは知っていて、間違いなく自分の中にある。

 

こんな恋をまたしたいと願いつつも、もう何年も、そこまでの恋は経験していない。

 

これはおれが、依存心から脱却し、ある程度自立してしまったからかとも考えるけど、

 

きっとそうじゃない。

 

たとえどんなに自立した個人であっても、情熱的な、命を燃やすような恋をすることは出来るのではないだろうか。

 

 

 

 

 

おれはやはり、この主人公のように、昔の恋が楔となって、心に引っかかってるように感じる。

 

これは『未練』なのだろうか。

 

人生のことを考えるときも、仕事のことを考えるときも、恋愛をしているときも、

 

折に触れて頭をよぎるのは、そのときの恋のイメージ。

 

 

 

 

 

会えば解決するのか?

 

と聞かれると、正直わからんし、ぶっちゃけ遥かに怖さの方が多い。

 

ただ言えるのは、あれだけ他人に対して深く深く深く深く、お互いの人生に関わったことは後にも先にもない。

 

それは人生で得てきた親友たちの存在が霞むほどに。

 

結果、別れることになり、それだけお互いに入り込んでたからこそ、

 

おれは人と深く関わること、そして深く関わられることに対して、怖さを感じているんだろう。

 

 

 

 

 

 

また見つけた。

と、思う。

 

自分を守るために無意識に目を背けている自分の中の別の人格を。

 

向き合わなければならない。

それは一方的に会うことではない。

 

向き合うべきタイミングがこの先の人生で必ずくるという覚悟を持っておくことだ。

 

彼女はそんなことは絶対に考えないな。

感覚的な、素敵な女性。

 

と、書きながら思う。

人の価値観に『絶対』とつけられるほど深く関わった人は、おれは彼女だけなんやと。

 

 

 

 

 

どうすればこのわだかまりは消える?

 

答えなどどこにもないことは頭ではわかってるのに、心が答えを求める。

 

会えば解決するのか?

会ってどうする?

 

相手は会うことを求めていないだろう。

 

 

 

 

いや、相手は求めていない、とかの次元ではなく、どうでもいいと考えてるはずやな。

 

相手が求めてないだろう、というおれの心の声は、おれの女々しさからくる声そのもの。

相変わらず女々しい、おれの本質。笑

 

連絡をとってみるか。

 

会えば変わるかもしれない。

会っても変わらないかもしれない。

 

でもこうやって、もがきながらトライしてみて、

 

違うかったらその都度、修正していく。

それが人生なんやろうとも思う。

 

自分の心のひだが動いた瞬間を見逃さないでおこう。

自分を幸せに出来るのは、他の誰でもなく、自分だけなのだから。